2011年1月9日日曜日

クンユアム再訪 その1












お正月休みを使って、また、クンユアムに行ってきました。
今度は、チェンマイでレンタカーを借りてメーホーソン経由で自分で運転してクンユアムへ向かいました。
ホンダのシビックは、メーホーソンまでの山道でもよく走ります。パイまでの道は、正月休みを山で過ごすタイ人やファランの自動車や、バイクで混雑しています。最近では、こういったレジャーを楽しむタイ人が増えてきました。また、バイクや自動車でタイ国内を旅行するタイ人の若者も増えてきました。昔懐かしいホンダのカブを改造したりするのも流行っているようです。日本でも2-30年前、DiscoverJapanと言う名前の国内旅行がはやりました。ちょうどこういったブームが始まったようです。
今回は、北回りでクンユアムに向かいましたが、南回りの方が近いそうです。後でそれを聞いてそういった事実をしりました。北回りは、とても大変です。朝10時に出発してクンユアムには、夕方着きました。クタクタです。着いた日は、クンユアム在住、日本語教師のK原先生と算盤教師のI原先生の歓迎を受けていきつけの食堂で歓迎会です。この食堂は、2010年の7月から8月のボランティア教員時代には、毎晩通った店です。なじみの店員もまだ居ました。旧交を温めて、翌日は、早速朝からカレン族の村メーサーペーに向かいます。
ここは、クンユアムから自動車で30分ほどのカレン族の村で、日本語の生徒が一番多くいる場所です。この村は、クリスチャンが多く、丁度大晦日ということもあって、いろいろな行事があり、みんな小学校の広場に集まっています。この村には、ミャンマーから歩いてやってきたカレン族がたくさん住んでいるそうで、みんなカレン語でしゃべります。タイ国内であっても、ここではカレン語しか通じません。私は、タイ語カレン語ができる生徒たちの通訳でこういたことを知りました。ここでは、生徒たちがいないと手も足も出ません。
見たところ、正月セレモニー会場である小学校の校庭の広場に集まってくる人々は、まさに着のみ着のまま状況の人が多く、過酷な難民生活がうかがえます。集まった人たちには、お餅が出されていました。日本で言うと安倍川餅が一番近いような気がします。とても原始的な臼と杵で餅をつきます。杵は、長い棒状のもので丸太を削っただけです。臼は木臼で日本のものよりはだいぶ小さいものです。つかれた餅は、つきたてのものを手でちぎって砂糖をつけて食べます。甘くておいしいです。この餅は、生徒の家でも出されました。正月料理のようです。昔の日本と全く同じです。まだ物心つく前におじいさんの家で餅つきをしていたのをかすかに覚えています。蒸籠でもち米を蒸して蒸籠から臼にドサッと移す情景を思い出しました。おじいさんが杵で餅をつく姿もかすかに覚えています。母親に聞くと、お爺さんはどんなに貧乏しても正月の餅つきだけは絶対欠かさなかったそうです。明治生まれの頑固な人だったそうですが、子供には優しかったような気がします。
正月行事は、大晦日の昼からいろいろあるようです。

2 件のコメント:

  1. お正月にタイででもお餅を召し上がれるのは良かったですね^^

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  2. カレン族のお餅は、見た目は怪しいですが、食べると柔らかくって、まさに安倍川餅そのものでした。自然のものだけしか使っていないので(もち米を蒸して搗いただけ)なので、体にはいいでしょう。ここに限らず、少数民族の村には、まだ加工食品がそんなに入り込んでいないので、食べ物は自然のものが多くあります。生活は過酷ですが、食べ物だけは、体にはいいですね。

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