2010年8月26日木曜日

タイの田舎の学校の先生 44



内職

クンユアムウイタヤ校で学ぶ主にカレン族の子供たちは、遠い実家から通っている子供が多いようです。
実家はほとんど農家で、定期的な現金収入というものがない場合がほとんどです。そのため、子供たちは寄宿先で、朝晩のご飯は、自分で造るなりして食べているようですが、寄宿舎が遠い人は、昼ごはんは食べていません。昼ご飯を食べないで、一日勉強するのはつらいです。育ち盛りの子供たちです。町の子供は、皆、昼ご飯を食べた後、お小遣いでアイスとかを食べています。私が高校生の頃は、10時ごろ、学食でうどんを食べて12時に弁当を食べてました。ときどき早弁もしていました。それでもお腹が減って仕方がありませんでした。学校帰りには、お好み焼きを食べたりしていました。考えるととても贅沢です。

稼げるのは小額でもいいです。ここに仕事をつくるしかないのです。学校では、クイッティアオ一杯15Bで格安です。一ヶ月の登校日20日間で、月300Bでいいのです。内職でも何でもいいのです。誰かが何か考えないといけない気がします。

2010年8月22日日曜日

タイの田舎の学校の先生 43






カラオケ

知っている人は知っている事実ですが(当たり前か)、私はタイ語の歌をカラオケで歌うのが大好きです。得意レパートリーは、ここ数年「パラポル」という歌手のものが中心です。タイに通いだした10年前に偶然Amp(アム)という歌手のCDを買ったことがきっかけで、タイカラオケにはまりました。完全に暗記している歌は5~6曲程度ですが、カラオケの画面を見ながらだと30曲は歌えます。「パラポル」以外にも、定番「T・Bird」や「Panattda+DuoBoys」、「BoyPeaceMaker」、最初に覚えた「Amp」、タイでは外せない「プンプアン」などが歌えます。このクンユアムでも焼肉屋に有ったMidiカラオケで、「BoyPeaceMaker」や、「パラポル」など数曲を歌いました。同席した先生方が大変驚いていました。タイ人は、外国人がタイ語の歌を歌うなんて考えていませんので、たいていどこのカラオケ屋で歌っても驚かれることになります。ただし、この店のカラオケは田舎の店にありがちなMidiカラオケで、データ量が少ないため、PCに多量に保管できるものの画面はタイ語だけです。したがって最初から最後まで暗記している歌だけしか歌えません。曲検索メニューもタイ語なので、私にはまったくのお手上げ、検索さえ出来ません。思えばはじめて行った、10年前のチェンマイのカラオケ屋とまったく同じです。タイ語の歌詞の色が変わると歌い出しで、後は記憶だけが頼りです。中国のカラオケ屋も、ココと似たり寄ったりで、カラオケ専門店であっても、画面は中国語のみです。英語の歌もわざわざ漢字に直してあります。「ホテルカリフォルニア」という歌の場合、「加州旅館」という名前でした。

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焼肉

長い間クンユアムには無いと信じられていた、カラオケ屋があったことに気づいたのは、帰国一週間前でした。私の送別会を副校長先生が開いてくれたお店が、鍋物の出来るそのカラオケ屋のお店だったのです。場所はとんでもないところです。クンユアムウイタヤ校からは自動車で10分程度のところですが、周りに何もない原生林(ジャングル)のなかで、いったいどうやってお客が来るのだろうという場所でした。料理は一応何でも出来るようですが、何せお客が少ないので、その日仕入れた材料によっては、出来たり出来なかったりのようです。ここでは毎回ムーカタばかり食べていたので、そのほかに何が出来るのかは不明です。ムーカタとは読んで字のごとくムー(豚)カタ(鍋)です。ただしこの店では、鶏肉主体です。正確に言うと「ガイカタ」になるのかな、そんな言葉が有るのかどうか知りません。

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お菓子(つづき)

自由なのを良いことに、その場で食べるだけではなく、多量に持ち帰っています。結果、山のようにあったお菓子類は、授業が終わると全てなくなるということになります。
最初は、自宅や寄宿先で待つ弟や妹に持ち帰っているのだろうと思ったのですが、どうも違うようです。単にいつも自分で買っているお菓子を買わなくてすむだけのようです。いつも買い食いして慣れているのか、まったく遠慮がありません。また、持ち帰って自宅で食べているようでもあります。カレン族の皆は、普段お菓子を食べる習慣自体がないのか、なかなか食べようとしません。目の前まで持っていって勧めると断りません。遠慮しているようです。しかし、毎回一人一人お菓子を配るわけにも行きません。これは私の意図とは違うので、すでに買っちゃった分は自由に食べさせて、それでおしまいにしました。人生思い通りにはいかないものです。それに今だけ自由にお菓子なぞ食べたところで、一ヵ月後には、無くなっちゃいますから返って酷な話です。なお、お菓子を配ったのは日本語クラスの生徒だけです。他のクラスの生徒はお菓子をもらいに来たりしませんでしたが、時々先生方がお菓子をもらいに来ました。

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クンユアムウイタヤ校学食④

私から見れば一食15Bの学食ですが、お金がなければどうしようもありません。此処で食事している子供を良く見れば、持ち物や服なども小奇麗でみな裕福そうです。食事の後は、おやつを食べたり、校舎の一階部分にある売店でアイスクリームやお菓子類を買っています。日本の子供たちとなんら変わりません。この学校に居るのは、12歳から17歳ぐらいの子供たちです。お菓子や果物なんて一番食べたい時期です。というわけで、教室に、お菓子を買って置いてみました。クンユアムのような田舎では、なんでも物価が安く、子供向けの駄菓子など200-300Bも買えばそれこそ山のようにあります。これを、お腹が減っている子供たちに自由に食べさせようと思ったわけです。結果どうなったかというと、これが思い通りにはいかないことも、1週間程度でわかりました。お菓子を一番食べているのは、お腹が減っているカレン族の子供たちではなく、自由にお菓子を買うことが出来るタイヤイ族のM4の生徒たちでした。

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クンユアムウイタヤ校学食③

昼休みにはごった返す学食です。M4(高1)の生徒たちとは何度か一緒に昼ごはんを食べましたが、M5(高2)の生徒たちとは一度も会いません。最初は不思議だなあと思っていましたが、ここで食事が出来るのは、町に生まれたお金持ちの公務員か商店の子弟だけだと気づきました。1,000人もの学生がいるにしては、お店が少なすぎます。食事をする子供たちは、ほとんどが町のタイヤイ族です。M5のカレン族の子供に聞いてみたところ、その子は、寮生なので、昼は寮に帰って食べるといいます。昼休みは一時間です。とても料理できる時間はないでしょう。おそらく朝の残りを食べているのではないかと思います。寮生でなく、教会の寄宿舎や親戚の家に寄宿している子供は、帰る時間は有りません。かといって小遣いというものも有りません。彼女たちは、昼ごはんは食べていないのです。これがわかったのは、此処に来て一週間ほどたってからでした。

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クンユアムウイタヤ校学食②

先生には、学校から食券が配られるので、実質は只です。朝の7時半から営業していて、朝食も此処で食べることが出来ます。ここは、昼休みには、たくさんの生徒が昼ごはんを食べに来てごった返します。最初は、安くてまあまあだなあ、と思っていました。味は、タイですからなんでも辛くて、安心して食べられるものは、麺類とカオマンガイくらいでしょうか。実際、私はここで食べるときは、これらを順番に食べていました。カオソーイも辛いのですが、好物なので、バーミーやセンレックなどとローテーションして昼ごはんに食べていました。聞けば「ラットナー」もあるそうです。バンコクに住む、タイ人の友人が、「ラットナー」の店をやっていたので、バンコクに居るときは毎日食べました。カナーという名前の野菜を切って入れるのですが、これを削る(切るというより削るという感じです)のを飽きずに眺めたことを思い出します。

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クンユアムウイタヤ校学食①

クンユアムウイタヤ校には、カフェテリア(学食)というものが有ります。実態は、コンクリートの床にスレート葺きの屋根、周りの壁は、金網で囲われていて、一見刑務所風です。机と椅子は木製で汚いビニールのテーブルクロスがかなりくたびれて掛かっています。
ここには、4~5箇所のお店ブースがあって、それぞれ軽食(お菓子類、さつま揚げなどのおつまみ系)大体一個5B~10B、麺類専門店が2軒(麺類均一15B、得意な麺が違うようで住み分けているらしい)、タイによくある「ぶっ掛けご飯」系のお店(一皿15B、2種類かけると20B、目玉焼きは5Bプラス)、もう一軒は忘れたけど、日本人が食べられそうなものではなかったので、此処でのレポートは不要でしょう。食べ物屋さんの並びとは反対側に、一軒だけ飲み物専門のお店があります。チャーイエン(例の甘いアイスティー)は、小6B・大12Bだったか、冷蔵庫のジュース類も一本10Bと、とてもお買い得です。

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クンユアムでの生活③

クンユアムでは、毎日の買い物は全て雑貨屋でということになります。品揃えはどこも大して違わないのですが、雑貨屋も色々有って、注意が必要です。食品関連は、流行っている雑貨屋で買うことがとても重要です。消費期限なるものが守られているのは、セブンイレブンだけです。中には腐ったものや、壊れたものでも平気で店頭に並んでいます。これらをつかまないためにも、品物はじっくり選んで、安全確認の後、購入する必要があります。一度、果物屋で竜眼(ロンガン)、タイ語では、リンチーというのを買おうとしたら、店員が、「品物が良くないから止めとけ」と言います。「そんなものなら、店頭に並べなければ良いのに」と思うのですが、タイ人の考え方はわかりません。ということから、常設の商店は危険ということで、果物や食品などは月曜朝市や、土曜の午後開かれる、休日市場で買うことが一般的です。ここだと、その日仕入れたものをその日のうちに捌いてしまいますから、一応は安全とされています。

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クンユアムでの生活②

クンユアムでは、食パンというものが簡単に手に入りません。私は、毎朝トーストとヨーグルトでの朝食の生活を30年以上続けているので、どうしても食べたくなるときがあります。食パンは、セブンイレブンまで行けば手に入りますが、そこは2~3Km先の急な坂の下です。帰りは地獄の上り坂を自転車を押して歩かないといけません。一ヶ月の内に2度買いに行きましたが、2度目は品切れで買えませんでした。町に2~3軒あるパン屋で、例の甘い菓子パンを買ってしのぎます。食パンを食べるのに何でこんなに苦労しないといけないのか、情けないです。泊っていたホテル向かいのパン屋さんに行けば、一個5Bで、甘い菓子パンが買えますが、タイ語が出来ない人には、中身が何かわからないまま、一か八かでパンを選びます。運よくアンパンにあたれば良いですが、勘が外れて茶色い砂糖ひじきみたいな奴にあたると、泣きそうになります。ショーケースのパンの場所を覚えて、買う方法も、残念ですが、気分によってパンの置き場所が変わるので、うまくいきません。店主にタイ語で聞くしかないのです。聞いても返事もタイ語です。覚えるしかないのです。

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クンユアムでの生活①

クンユアムという町は、本当に何もありません。田舎です。自転車を買いに70Km離れたメーホーソンまで行った話は、以前しました。スーパーマーケットもなければ、洋服屋というものもありません。セブンイレブンがかろうじて一軒だけあります。おしゃれも、雑貨屋兼服屋(Tシャツ程度)です。時計屋は、1軒だけあります。うっかり腕時計をしたまま、シャワーを浴びて、時計に水が入って困ったことになりました。時計屋へ持っていくと、修理は「無理」と言います。仕方なく、時計屋の店先で、道具を借りて自分で時計をばらして、中の水滴をぬぐいました。以前、電池を自分で換えたことがあったので、出来たのですが、素人にも出来るような修理が、この町の時計屋では出来ないのです。ねじ回しを借りるときも、面倒なのか、ものすごく嫌がります。次回からは、田舎町に行くときは時計を分解できるような小型の「ねじ回し」を持参すると、心に誓いました。

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生徒たち⑭

ここの生徒だけに限らず、外国では日本に関する情報が限られていることが多く、変な誤解があるようです。たとえば、10年前から私はタイに通っていますが、チェンマイから北へ80Kmほど奥のチェンダオという所で、少数民族の人に片言英語で「私のお父さんは、切腹しました。」と冗談で言ってみたところ、同情されて慰められました。外国人に冗談を言うときは十分気をつけないと、こういったことになります。また、3年ほど前、中国の広西省というところで、中国人の大学生に「日本では、女性は男性が食事を終えるまで、食事が出来ないと聞きましたが、本当ですか?」と聞かれたことがあります。当然私は、「よく知っていますね。その通りです、中国人でよかったですね。」と答えました。満足そうな大学生を見て、「しめしめ、また異文化交流できた。」と喜びました。今でもあの人は、「日本では、女性は男性の食事後、食事を開始する」と信じているのでしょうか。もう一度会って聞いてみたいものです。

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生徒たち⑬

こういった生徒たちですが、そこは若い女の子たちです。今の文化にはとても敏感で、タイのポップスや、アイドルなども好きみたいです。M4の生徒から質問を受けました。質問:「日本人は、みな綺麗でしょう。テレビでみた日本人はみなカッコよくって素敵でした。そうですよね、間違いありませんね?」私の答え:「その通りです。日本には、カッコよくってハンサムな男の子と、美人で気だてが良い女の子しかいません。」「日本に生まれなくって残念でしたね。」満足そうな子供を見て、私は、罪の意識にさいなまれたかというと、そんなことは全くなくって、「しめしめ、また異文化交流できた。」と、とても満足しました。こういった悪戯を、ここ10年間何度も繰り返してきました。皆さんご承知のように、「日本には、カッコよくってハンサムな男の子と、美人で気だてが良い女の子しかいないです。」間違いないですよね。

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生徒たち⑫

M6(高2)の生徒たちに聞いてみました。映画を映画館で見たことがある人:12人中1人(親戚の結婚式でBKKに行ったとき初めて一回だけ見た)、チェンマイ(一番近い都会)に行ったことがある人:半分くらい(皆用事(おそらく冠婚葬祭など)で行ったそうで、全員ショッピングセンターも映画館も行ったことがないそうです)、海を見たことがある人:1人。ここからは、M5/M4共通です。携帯電話普及率:タイヤイ族は、ほぼ全員、カレン族は、2~3人くらい、モン族は、一人だけですが、携帯電話は持っています。カレン族は、ほとんどが寄宿舎か学校近くの親戚の家で生活しています。バイクは、18人で2~3台程度でしょうか、みな、時々両親か親戚のものを借りているようです。ほとんどの生徒は歩きで登校しています。如何に彼女たちが我々とは異質な世界で暮らしているかが判ります。都会に出ればすぐ慣れちゃうでしょうが、エスカレーターに乗ったことのない子供ばかりです。仕事を探して都会に出て転落する子が多いのもこういった環境の違いから来るのかも知れ無いなあと思います。

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生徒たち⑪

つまらない話ばかりが続いたので、ここの子供たちのことを素直に書きます。毎週月曜日は、制服の日です。日本の中学校そっくりの白いシャツと紺色のズボンかスカートで登校します。火曜日は、体操服の日。Khunyuamwitthayaと書かれたズボンの体操服が多いです。色は青です。水曜日は、ボーイスカウトの日、男も女もベレー帽にネッカチーフでカーキ色か緑色の制服です。この日は、午後軍事教練もあります。タイは、徴兵制の国です。高校生には、軍隊の訓練が課せられています。何か行事がある日などは先生に対しては、校門にいる迷彩服の高校生が登校時一斉に起立して敬礼します。なんだか偉くなった気がします。木曜日は、また、制服の日です。中には体操服の子どももいます。体育の授業がある日は、体操服のままで来るようです。金曜日は民族衣装の日です。私は、この日が一番好きです。カラフルな、タイヤイ族の女生徒、男生徒は、タイ人とあまり変わらない服装です。白一色のカレン族の女生徒(未婚女性の服は、白だけだそうです。)男生徒は、上着の色は自由みたいです。モン族は、男女とも刺繍の見事な上着やスカートで登校します。皆家族の手作りで、それは見事なものです。

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生徒たち⑩

ここクンユアムから、日本の子供のことばかり書いているのは、外から見ると内側のことがよく見えるからでしょう。中にいると、その中のことは全く見えてきません。比較の対象がないと、物事は客観的には見えないからでしょう。美味しいご飯は、「不味いもの」を食べたことがあるからこそ、「美味しい」と感じるのです。私が子供だった頃は、ここクンユアムにいる子供なんて珍しくもなく、それこそ普通の存在だったような気がします。高度成長期を経て、日本が豊かになっていくにつれて、そういった昔の良い部分は自然に削り取られていったのでしょう。何処の国でも同じ事が言えそうです。「失われた故郷」とはこういった、文明から取り残されたような僻地にしか存在しえない気がします。ここの子供たちは、そんなことは一切知らずに純粋なままで接してくれます。それが、私にはたまらない魅力に写ります。

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生徒たち⑨

今大学生の論文で「問題」になるのは、書かれた論文がほとんどネットからのコピーペーストだらけで、自分の思考、意見、知識、想像力や独創力などが見られないことだそうです。自分で考えなくっても、誰かが考えたことがPCをすこし操作するだけで手にはいるのであれば、こんな楽なことはありません。こういった人たちが増えるとその国は滅びる気がします。誰もしんどいことはしたくないです。しなくってすむのならその方がいいに決まっています。でも、そこからは何も生まれてきません。こういった大学生の論文は「良くできました、○(マル)」でおしまい、そこから先は屑籠行きでしょう。こういう人が、もし会社や役所に勤めればどうなるでしょうか、誰かの考えた案に「あ、それ良いね」「やっといてよ」となります。結果。寄生虫だらけになってしまいます。宿主の我が国は、栄養を吸い取られて自滅です。ここの子供は、毎日がサバイバルです。自分で考えて切り開かないと明日はないのです。日本に比べて出発点は低く、条件はとても悪いですが、発展する可能性があるのはこう言った子供たちだと私は思います。

2010年8月21日土曜日

タイの田舎の学校の先生 27




生徒たち⑧

私がここの生徒にのめり込んでしまう大きな理由は、今の日本の若者たちに絶望しているからだと思います。何かの本で読みましたが、今の若者は「人を見下す」ことで自我を保とうとします。出来もしないことを、さも出来るように主張して、「出来ないのでは無く、やろうと思えば出来るのだが、あえてやらないのだ」と言う風に論理をすり替えようとします。自己主張のみが強くなった結果、主張すべき自己がないまま主張したい為に、こういったことになるようです。また、自分の成績が低ければ、これは不幸な偶然の結果あるいは、自分の能力ではなく他人のせいであると主張するようです。勉強できないのは、親のせいであり、同級生のせいであり、生まれ育った環境のせいであるわけです。彼らの中には「けっして自分の能力が低いわけはない。」と言う論理があります。ここに来てみれば判りますが、「これ以上学習環境が整っていないところもないだろう」と言うくらいここは厳しい土地ですが、立派な成績の子供が沢山います。人のせいにしても成績は上がりません。