2010年8月19日木曜日

タイの田舎の学校の先生 11





クンユアムという町について(歴史)
ここは、旧日本軍がビルマ・インドの英国軍を攻撃するために通過した地点で、敗戦時には、引き揚げ者の死体で白骨街道と呼ばれたほどの、悲惨なところでした。ろくな装備もないまま補給もなく徒歩でジャングルを行軍した兵士は、そのほとんどが帰国できませんでした。そう言った兵隊たちの慰霊碑が、ビルマ国境からタイにかけて沢山存在します。当時の兵隊たちの言葉によると怖い物の順番は「1.牟田口2.マラリアなど風土病3.飢え4.英米軍」だったそうです。牟田口(中将だったかな)とは当時のこの方面の司令官で、無能で無知、作戦能力のないまま昇進した軍人で、兵隊たちが辛苦の上でばたばた死んでいく中、料亭で宴会をしていた人だそうです。ここクンユアムにも、戦争博物館があり、当時の遺品などが展示されています。また、今でも町には、当時の兵隊と結婚していたお婆さんが遺族年金などの保証もないまま、家族や近隣の人の助けで生きています。これは、当時ここに生き残った兵隊は、終戦時逃亡兵扱いになったためです。

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